« 2009年05月 | メイン | 2009年10月 »

2009年06月 アーカイブ

2009年06月04日

修道院では、聖務日課でグレゴリオ聖歌が歌われる

修道院では、聖務日課でグレゴリオ聖歌が歌われる。主には詩篇の交唱、朝課での大応唱、他の定時課および終課での小応唱に用いられる。聖務日課での詩篇交唱は短く簡潔なものが多く、一方大応唱は複雑で長い。

聖務日課の終わりには、「アルマ・レデンプトリス・マーテル」、「アヴェ・レジーナ・チェロールム」、「レジーナ・チェリ」または「サルヴェ・レジーナ」の4つの「マリア・アンティフォナ」のうちの1つが歌われる。これらはいずれも比較的成立が遅い聖歌で、11世紀に成立し、他の聖務日課用のアンティフォナよりもかなり複雑なものである。音楽学者アーペルはこの4曲を「中世後期のもっとも美しい作品の一つ」と述べている

グレゴリオ聖歌は中世西洋音楽およびルネサンス音楽に大きな影響を与えた。例えば、現代の記譜法はグレゴリオ聖歌のネウマ譜から直接発展したものである。聖歌を記譜するために考案された四角ネウマは、他種の音楽の記譜にも転用されたし、ある種のネウマのまとまりは、ノートルダム楽派によって提唱されたリズム・モードというリズムの組み合わせを表現するのに使用された。15世紀から16世紀にかけて、次第に丸みを帯びた音符が四角や菱形にとってかわったが、聖歌集では依然として四角ネウマが使用された。16世紀には5本目の線を追加した五線譜の使用が一般的になった。またバス記号や、シャープ、フラット、ナチュラルの臨時記号はグレゴリオ聖歌の記譜法に直接由来するものである[54]。
マンション 住まい 成人病 古着 多汗症 おもちゃ 学校 旅行 検定 特産物 若返り エージェント バスト 分譲 料理 多汗症 介護 リラク 贈り物 予備校 菜園 スクール スポット エイジ 交通地図 理容 フランチャイズ 趣味 就職 家具 介護 寝具 グルメ リラク ゲーム セミナー 美容 パソコン 水族館 インプラント メイク 若返り 開業 癒し リラク お祝い 介護 スポーツ 学習 自動車


グレゴリオ聖歌の旋律は、トロープスや典礼劇の音楽的素材となった。また「キリストは立てり」(ドイツ語:"Christ ist erstanden")や「いまぞ我ら聖霊に乞わん」("Nun bitten wir den heiligen Geist")などの現地語の賛美歌は、翻訳テキストにグレゴリオ聖歌の旋律をあてはめたものである。グレゴリオ聖歌の即興的な和声付けであるオルガヌムにはじまり、グレゴリオ聖歌は中世からルネサンスにかけてのポリフォニーの展開にも多大な影響を及ぼした。グレゴリオ聖歌は(一部改変をされながら)「カントゥス・フィルムス」として使用されることもしばしばで、この場合聖歌の音符の連なりが和声進行を決定づけた。マリア・アンティフォナ、なかでもアルマ・レデンプトリス・マーテルは、ルネサンスの作曲家によって頻繁に編曲された。聖歌をカントゥス・フィルムスに使用することは、バロック時代になって、独立したバスラインと、それに基づくより強い和声進行が規範的になるまで主流を保った。

後に、カトリック教会ではミサの通常文にグレゴリオ聖歌ではなくポリフォニックな編曲を用いることを認めた。このために、パレストリーナやモーツァルトなどのミサ曲では「キリエ」などの通常文を作曲の対象とし、「入祭唱」などの固有文は通常含まれなかった。固有文も荘厳ミサなどでは合唱曲に置き換えられることがあった。固有文のための多声音楽を多く作曲した作曲家としては、ウィリアム・バードやトマス・ルイス・デ・ビクトリアが上げられる。これらの多声編曲は、通常もとの聖歌の要素を取り入れている。

2009年06月21日

マヤのカレンダー

マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていた。一つは、一周期を260日とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう一つは、一年を365日とするハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。約52年で、ツォルキン暦とハアブ暦の組み合わせが一巡する。これをカレンダー・ラウンドという。紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表わされた、長期暦(ロング=カウント;Long Count)と呼ばれるカレンダーもあった。石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。

キン(1日)
ウィナル(20キン)
トゥン(18ウィナル、360キン)
カトゥン(20トゥン、7200キン)
バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日にあらわれるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる(青木1984,pp.137-8)。
物流
剣道
理学療法
建築学
救急医学
東海地方
結膜炎
有機化学
糖尿病
エックス線
湯・群馬
冠婚マナー集
玉露百科
楽しいアロマ
日本の音楽
皮膚と体毛
コーヒーで一息
循環器事典
さくら咲く
こどもの歌

では、マヤの人々は一年を何日と考えていたのだろうか。かっては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説である(八杉1982,pp.31-2,コウ/増田、武井・徳江訳2003,pp.187-192,p.254)がその誤りが判明している。実際に残されていた記録を探ると365.2421日(3845年間に931日の閏日)、365.2417日(3898年間に942日の閏日)といった日数が算出され、マヤの人々が得ていた日数は必ずしも精度が高いとは言えないようである(小池1996)。

なおニューエイジ関連の書物ではマヤの長期暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言が成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い(2012年人類滅亡説)。しかしフォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性にかけた予言であり、マヤ文明の研究家たちもこれを否定している者が多い。

木晴夫『マヤ文明の謎』(講談社現代新書)1984年 ISBN 4-06-145757-8
コウ,M.D./増田義郎監修,武井摩利・徳江佐和子訳
『マヤ文字解読』創元社,2003年 ISBN 4-422-20226-X
サイモン=マーティン,ニコライ=グルーベ/中村誠一監修,長谷川悦夫・徳江佐和子他訳
『古代マヤ王歴代誌』創元社,2002年ISBN 4422215175
八杉佳穂『マヤ文字を解く』中央公論社/中公新書,1982年 ISBN 4-12-100644-5
石田英一郎『マヤ文明 世界史に残る謎』中公新書,1966年 <著作集全8巻>で筑摩書房

About 2009年06月

2009年06月にブログ「花の子ルンルン」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年05月です。

次のアーカイブは2009年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35