2009年06月21日

マヤのカレンダー

マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていた。一つは、一周期を260日とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう一つは、一年を365日とするハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。約52年で、ツォルキン暦とハアブ暦の組み合わせが一巡する。これをカレンダー・ラウンドという。紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表わされた、長期暦(ロング=カウント;Long Count)と呼ばれるカレンダーもあった。石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。

キン(1日)
ウィナル(20キン)
トゥン(18ウィナル、360キン)
カトゥン(20トゥン、7200キン)
バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日にあらわれるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる(青木1984,pp.137-8)。
物流
剣道
理学療法
建築学
救急医学
東海地方
結膜炎
有機化学
糖尿病
エックス線
湯・群馬
冠婚マナー集
玉露百科
楽しいアロマ
日本の音楽
皮膚と体毛
コーヒーで一息
循環器事典
さくら咲く
こどもの歌

では、マヤの人々は一年を何日と考えていたのだろうか。かっては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説である(八杉1982,pp.31-2,コウ/増田、武井・徳江訳2003,pp.187-192,p.254)がその誤りが判明している。実際に残されていた記録を探ると365.2421日(3845年間に931日の閏日)、365.2417日(3898年間に942日の閏日)といった日数が算出され、マヤの人々が得ていた日数は必ずしも精度が高いとは言えないようである(小池1996)。

なおニューエイジ関連の書物ではマヤの長期暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言が成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い(2012年人類滅亡説)。しかしフォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性にかけた予言であり、マヤ文明の研究家たちもこれを否定している者が多い。

木晴夫『マヤ文明の謎』(講談社現代新書)1984年 ISBN 4-06-145757-8
コウ,M.D./増田義郎監修,武井摩利・徳江佐和子訳
『マヤ文字解読』創元社,2003年 ISBN 4-422-20226-X
サイモン=マーティン,ニコライ=グルーベ/中村誠一監修,長谷川悦夫・徳江佐和子他訳
『古代マヤ王歴代誌』創元社,2002年ISBN 4422215175
八杉佳穂『マヤ文字を解く』中央公論社/中公新書,1982年 ISBN 4-12-100644-5
石田英一郎『マヤ文明 世界史に残る謎』中公新書,1966年 <著作集全8巻>で筑摩書房

2009年06月04日

修道院では、聖務日課でグレゴリオ聖歌が歌われる

修道院では、聖務日課でグレゴリオ聖歌が歌われる。主には詩篇の交唱、朝課での大応唱、他の定時課および終課での小応唱に用いられる。聖務日課での詩篇交唱は短く簡潔なものが多く、一方大応唱は複雑で長い。

聖務日課の終わりには、「アルマ・レデンプトリス・マーテル」、「アヴェ・レジーナ・チェロールム」、「レジーナ・チェリ」または「サルヴェ・レジーナ」の4つの「マリア・アンティフォナ」のうちの1つが歌われる。これらはいずれも比較的成立が遅い聖歌で、11世紀に成立し、他の聖務日課用のアンティフォナよりもかなり複雑なものである。音楽学者アーペルはこの4曲を「中世後期のもっとも美しい作品の一つ」と述べている

グレゴリオ聖歌は中世西洋音楽およびルネサンス音楽に大きな影響を与えた。例えば、現代の記譜法はグレゴリオ聖歌のネウマ譜から直接発展したものである。聖歌を記譜するために考案された四角ネウマは、他種の音楽の記譜にも転用されたし、ある種のネウマのまとまりは、ノートルダム楽派によって提唱されたリズム・モードというリズムの組み合わせを表現するのに使用された。15世紀から16世紀にかけて、次第に丸みを帯びた音符が四角や菱形にとってかわったが、聖歌集では依然として四角ネウマが使用された。16世紀には5本目の線を追加した五線譜の使用が一般的になった。またバス記号や、シャープ、フラット、ナチュラルの臨時記号はグレゴリオ聖歌の記譜法に直接由来するものである[54]。
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グレゴリオ聖歌の旋律は、トロープスや典礼劇の音楽的素材となった。また「キリストは立てり」(ドイツ語:"Christ ist erstanden")や「いまぞ我ら聖霊に乞わん」("Nun bitten wir den heiligen Geist")などの現地語の賛美歌は、翻訳テキストにグレゴリオ聖歌の旋律をあてはめたものである。グレゴリオ聖歌の即興的な和声付けであるオルガヌムにはじまり、グレゴリオ聖歌は中世からルネサンスにかけてのポリフォニーの展開にも多大な影響を及ぼした。グレゴリオ聖歌は(一部改変をされながら)「カントゥス・フィルムス」として使用されることもしばしばで、この場合聖歌の音符の連なりが和声進行を決定づけた。マリア・アンティフォナ、なかでもアルマ・レデンプトリス・マーテルは、ルネサンスの作曲家によって頻繁に編曲された。聖歌をカントゥス・フィルムスに使用することは、バロック時代になって、独立したバスラインと、それに基づくより強い和声進行が規範的になるまで主流を保った。

後に、カトリック教会ではミサの通常文にグレゴリオ聖歌ではなくポリフォニックな編曲を用いることを認めた。このために、パレストリーナやモーツァルトなどのミサ曲では「キリエ」などの通常文を作曲の対象とし、「入祭唱」などの固有文は通常含まれなかった。固有文も荘厳ミサなどでは合唱曲に置き換えられることがあった。固有文のための多声音楽を多く作曲した作曲家としては、ウィリアム・バードやトマス・ルイス・デ・ビクトリアが上げられる。これらの多声編曲は、通常もとの聖歌の要素を取り入れている。

2009年05月01日

荷留(にどめ)

荷留(にどめ)とは、生活物資(主にコメ)を地域外へ移動させることを禁ずる命令、もしくは行動。港にて船の荷揚げ荷下ろしを制限することは津留(つどめ)と呼ばれた。戦国時代から明治時代初頭にかけて行われた。

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多くは各藩や直轄奉行所などが発する公的な命令であったが、飢饉の拡大を恐れた農民や住民が私的な関所を設けて行う例も見られた。
戦国時代には、敵地への経済封鎖の一環として、米穀や塩の輸送を禁じることが行われた。「敵に塩を送る」という故事のきっかけは、今川氏真によって甲州側への荷留(塩止め)が行われたことがきっかけである。

江戸時代の場合は、食糧確保のための自衛措置や一部の者が不当な収益をあげることを目的に行われるようになった。江戸時代は、藩単位で見ると農業政策はまちまちであり、冷害などで米の収穫量が減少すると、地域ごとに米の保有量や米価に大きな不均衡が生じた。平常時に不均衡が生じると、物資の移動により均衡状態に向かうこととなるが、さまざまな思惑、例えば、

飢餓輸出的な物資の流出防止
敵対する隣接藩への報復措置
米価つり上げを狙う商家や官吏の結託
などの理由により、しばしば荷留が行われるようになった。具体的な方法としては、関所における物資流通の制限、沖仲仕の活動停止など多岐にわたる。

大飢饉時には、特に、多くの諸藩で実施された。荷留や津留の多くは、自領内の食料を確保する目的で行われたが、周辺諸藩も対抗措置として荷留や津留を行うことから、他領からの物資移入が進まずに、かえって被害の拡大を招くことも珍しくなかった。

蝦夷国の松前藩は、北前船により直接、大坂などの大都市と通商を行う、いわば重商主義の上に成り立っており、津留を行わなかった(行う必要が無かった)が、対岸の弘前藩や盛岡藩(八戸藩)は、天保の大飢饉の際などには周辺藩との対抗上、荷留や津留を実施に追い込まれた。結果、前者は餓死者をほとんど出すことは無かったのに対し、後者は一万人単位の餓死者を出す一因となった。

2009年04月16日

ベンケイソウ科

ベンケイソウ科(べんけいそうか、Crassulaceae)とは、被子植物の科のひとつである。およそ33属1400種を含む。

多肉質の葉を持ち、水分を貯蔵できる。分布は世界中に広がっているが、特に北半球と南アフリカに多く、水の乏しい乾燥した地域に産する。

この科の植物は食用としては重要ではないが、花卉園芸用に多くの種が流通する。それら品種の多くは特異な魅力を持ち、頑健で育てやすいことから人気が高い。カネノナルキ(金のなる木)やカランコエもこの科に属する。

多くは属、種間での交雑が容易で、野生、または人為の交雑があり、しばしば分類は容易でない。旧来の分類ではベンケイソウ科はバラ目に含まれたが、分子系統解析ではユキノシタ目に属する結果が得られる。

また、CAM型光合成(Crasulacean Acid Metabolism)という名称は、最初にこの科の植物からこの代謝経路が発見されたことにちなむ。

属 [編集]
Adromischus
アエオニウム属 Aeonium
Aichryson
Cotyledon
クラッスラ属 Crassula
Dudleya
エケベリア属 Echeveria
Graptopetalum
Greenovia
ムラサキベンケイソウ属 Hylotelephium - ミツバベンケイソウ、アオベンケイ、ミセバヤ
Hypagophytum
Jovibarba
リュウキュウベンケイ属(カランコエ属) Kalanchoe - リュウキュウベンケイ、セイロンベンケイ、コダカラベンケイ
Lenophyllum
チャボツメレンゲ属 Meterostachys
Monanthes
イワレンゲ属 Orostachys - ツメレンゲ、イワレンゲ
Pachyphytum
Perrierosedum
Phedimus
Pistorinia
Prometheum
Pseudosedum
イワベンケイ属 Rhodiola - イワベンケイ、ホソバイワベンケイ
Rosularia
マンネングサ属(セダム属) Sedum - キリンソウ、マンネングサ、ハママンネングサ、コモチマンネングサ、メキシコマンネングサ、コゴメマンネングサ、タイトゴメ
Sempervivum
Thompsonella
アズマツメクサ属 Tillaea
Tylecodon
Umbilicus
Villadia
タコノアシ属 Penthorum - 一般的にはユキノシタ科に属するとされるが、ベンケイソウ科と中間的な形態をもち、ベンケイソウ科に入れることもある(APG植物分類体系ではタコノアシ科)。

チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

2009年04月01日

人間によるウマ利用の歴史

Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられている。ヒトは古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコー洞窟の壁画にウマの姿がみられる。純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した。

紀元前4000年から3000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた。これは、ウマを人間が御すために使う手綱をウマの口でとめ、ウマに手綱を引く人間の意志を伝えるための道具であるはみがこの時代の遺物として発見されていることからわかっている。同じく紀元前3500年ごろ、メソポタミアで車が発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることができるようになってからである。

馬車が普及を始めると、瞬く間に世界に広まり、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになった。これらの地域に栄えた古代文明の都市国家群では、馬車は陸上輸送の要であるだけではなく、戦車として軍隊の主力となった。また、ウマの普及は、ウマを利用して耕作を行う馬耕という農法を生んだ。

一方、メソポタミアからみて北方の草原地帯ではウマに直接に騎乗する技術の改良が進められた。こうして紀元前1000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人、スキタイ人などの騎馬遊牧民が黒海北岸の南ロシア草原で活動した。騎馬・遊牧という生活形態もまたたくまに広まり、東ヨーロッパからモンゴル高原に至るまでの農耕に適さない広い地域で行われるようになった。彼ら遊牧民は日常的にウマと接し、ウマに乗ることで高い騎乗技術を発明し、ウマの上から弓を射る騎射が発明されるに至って騎馬は戦車に勝るとも劣らない軍事力となった。遊牧民ではないが、紀元前8世紀にアッシリアは、騎射を行う弓騎兵を活用して世界帝国に発展した。中国では紀元前4世紀に北で遊牧民と境を接していた趙の武霊王が胡服騎射を採用し、騎馬の風習は定住農耕民の間にも広まっていった。さらに騎乗者の足や腰を安定させるための鐙(あぶみ)や鞍(くら)が発明され、蹄鉄が普及して、非遊牧民の間でも、西ヨーロッパの騎士や日本の武士のような騎兵を専門とする戦士階級が生まれた。

15世紀から16世紀に進んだ火薬・銃の普及による軍事革命は騎士階級の没落を進めたが、騎兵の重要性は失われず、また物資の運搬にもウマは依然として欠かせなかった。各国は軍馬に適したウマを育成するために競馬を振興し、競馬を通じて馬種の改良が進められた。20世紀に至り、2度の大戦を経て軍事革新が進んで軍馬の重要性は急速に失われていったが、軍隊、警察においては儀典の場で活躍している。さらに競馬・乗馬は娯楽、スポーツとして親しまれ、世界では現在も数多くの馬が飼育されている。また近年では、世界最小のウマであるアメリカンミニチュアホースを盲導犬のウマ版と言える盲導馬として使用する試みも始まっている。

日本の馬 [編集]
日本の古書や伝承には馬にまつわる記述が早くからみられる。『日本書紀』にはアマテラスが岩戸に隠れたのはスサノオが斑駒の皮を剥いでアマテラスの機織小屋に投げ込み、機織女が驚いて死んだためであるとのくだりがある。『古事記』では、スサノオの息子であるオオクニヌシが出雲国からでかける際に鞍と鐙を装した馬に乗っていたと書かれ、「因幡の白兎」(「稻羽之素菟」)で有名な逸話のなかでオオクニヌシが素兎(素菟)に与える「がまの油」は馬の油であるとの説がある。 高千穂地方には、これより以前の神代の時代の神武天皇が龍石という馬に乗っていたとか、垂仁天皇の時代に野見宿禰が馬の埴輪を作ったとか、ヤマトタケルも東征に際して馬に乗っていたという伝承も存在する。

しかし、これらの神話や伝承は馬事文化の始まりを示す学問的な物証とは考えられていない。

考古学的には、縄文時代の貝塚から発見された馬の骨は、その後のフッ素年代法による研究で、鎌倉時代の馬を深い穴の中に埋葬した結果、貝塚の中から発見されたのではないかとする説が有力となっており、弥生時代以前に日本で馬産が行われた、あるいは馬の存在を裏付ける有力な証拠は発見されていない。 「うま」という言葉自体、昔から和語と認識され訓読みとされてきた(今でも教科書・辞典等では訓読みとされている。)が、馬の「マ」という字音が転じたものというのが定説である。

一方、3世紀前半から中期にかけての日本について記述した『魏志倭人伝』では倭国には牛・馬・虎・豹・羊・鵲はいないとの記述があり、これを信頼するならば当時の倭国には馬が存在しなかったことになる。

考古学的に馬事文化の存在を示す国内最古の遺物は、箸墓古墳(3世紀中頃)の周壕から出土した木製輪鐙である。4世紀初めの土器と共に出土したため、このころに投棄されたと推定される。 しかし、この木製輪鐙だけが他の出土馬具に比べ出現時期が余りにも早いため、この時期に馬事文化が広く普及していたとは考えられない。稀少な存在として権威を示すために用いられたと考えられる。

4世紀末から馬具の出土が連続するようになり、この頃に馬事文化が朝鮮半島から日本へと運ばれたのではないかとされている。『日本書紀』の記述によると、神功皇后の時代(4世紀後半)に大和朝廷が朝鮮半島を攻め(三韓征伐)、降伏した新羅王が自ら馬飼いになる事を申し出て、鞭や馬の手入れに使う刷毛や櫛の献上を誓ったとされる。

5世紀初めには馬形埴輪が登場する。5世紀前半の応神天皇の陪塚や仁徳天皇の陵墓の副葬品として馬具が出土しており、5世紀中ごろになると馬の骨格の実物も出土し、古墳の副葬品も鞍、轡、鐙などの馬具や馬形埴輪の出土も増えることから、日本でこの頃には馬事文化が確実に普及したと考えられる。

大化の改新(646年)による一連の制度の整備によって、駅馬・伝馬といった通信手段としての乗用馬が設立され、各地に馬牧も開かれた(ただし去勢の技術は導入されなかった)。当時律令制のモデルであった大陸の唐朝は、遊牧民出身の軍事集団が政権中核の貴族層を構成し、その軍事制度も遊牧民の軍制を色濃く継承していたため、律令制の導入は最先端の軍事技術としての馬文化(軍馬)の導入という性格も有していた。壬申の乱では騎馬隊が戦いに登場している。

『出雲国風土記』ではこの頃、既に神格化された大国主に馬肉を奉納したと記されており、既に馬肉食の文化も存在していたことが伺えるが、大化の改新に際して馬肉食も禁止されている。また『日本書紀』天武天皇5年4月17日(ユリウス暦:676年6月3日)のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食を禁止されている。

8世紀の文武天皇の時代には、関東に大規模な御料牧場が設けられ、年間200?300頭規模の馬産が行なわれていた。これが明治時代の下総御料牧場の前身である。ただし牧場や馬産といっても、大陸の遊牧民、牧畜民によって発達し、現在も行なわれているような体系的なものではなく、大規模な敷地内に馬を半野生状態で放し飼いにして自由交配させ、よく育った馬を捕らえて献上するというやり方だった。この方法は、優れた馬ほど捕らえられ戦場に送り込まれることになり、劣った馬ほど牧場に残って子孫を残し、優れた馬ほど子孫を残しにくくなるため、現代の馬種改良とは正反対の方法だった。[要出典]

平安時代には、いわゆる競馬が行われていたというはっきりとした記録があり、盛んに行われていた。「競馬式(こまくらべ)」、「きおい馬」、「くらべ馬」、「競馳馬」等と称して、単に馬を走らせて競う走馬、弓を射る騎射などが行なわれ、勝者と敗者の間では物品をやり取りする賭け行為も行われている。この競馬の起源は尚武(武術の研鑽)にあったと考えられるが、平安時代を通じてもっぱら娯楽へと変遷したと考えられる。[要出典]一方、宮廷儀礼として様式化された「競馬」はやがて神社にも伝わり、祭礼としての競馬も営まれるようになった。このなかでは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)で毎年五月に行われる賀茂競馬が有名である。賀茂競馬は古代から中世を通じて継続し、応仁の乱による荒廃の際でも万難を排して開催され、日本の馬事文化における極めて伝統的な行事として確固たる地位を築いている。

10世紀に武士が誕生すると、大鎧を着て長弓を操る武芸、いわゆる「弓馬の道」が正当な武士の家芸とされ、朝廷や国衙による軍事動因や治安活動は、この武士の騎馬弓射の戦闘力に依存するようになった。また馬上での斬撃に適するように古代に於いて直刀だった刀剣が、刃に反りがつくようになり日本刀への進化を促した。彼ら平安時代中葉から鎌倉時代にかけての武士の馬術への深い関心は、軍記物語である『平家物語』に記された一ノ谷の戦いで馬に乗ったまま崖を駆け下りた源義経の鵯越え(ひよどりごえ、なお畠山重忠は馬を背おって下りたという)などの逸話によって多くの日本人によく知られている。馬事はふたたび武術としての性格をもちはじめ、武士のたしなみとして「競馬」、騎射、流鏑馬、犬追物などが盛んになり、やがて鎌倉競馬として厳格に体系化された。武士の騎乗戦闘の様子や騎乗抜刀の様子は数多くの絵画史料で見る事ができる。『蒙古襲来絵詞』には白石通泰勢百余騎の騎馬隊が騎射をしながら敵陣に突進する様子が描かれている[1]。室町時代以降大坪流馬術の「乗用三段」に見られる騎馬隊で突撃して敵陣を切り崩すような集団騎馬戦術が発達していった。大坪流馬術は戦国時代・江戸時代を通じて多くの武士が学ぶ軍事的素養となっていた。江戸時代初期に描かれた『江戸図屏風』には御鞭打といわれる皮竹刀を使った騎馬集団による軍事演習の様子が描かれている[2]。また、領主としての土着性が強かった初期の武士にとっては、馬が排出する馬糞は自己が経営する農地の肥料としても貴重なものであった。

この武士による競馬の伝統は中世を通じて維持され、政治史にあわせた盛衰はあるものの江戸時代中期まで続いた。特に徳川家康、徳川家光、徳川吉宗らは武芸としての馬事を推奨し、江戸の高田に馬術の稽古場をつくった(高田馬場)。

源義経の愛馬として名が残る青海波は体高が約140センチで大きな馬であったと伝えられるが、このサイズはスピード競争を目的として近代に品種改良が重ねられたサラブレッドの平均的な体高である160?170センチと比べるとかなり小型であるが、小型種シェトランドポニーの平均的な体高である100センチに比べると遥に大型である。モンゴル帝国の征服事業で使われた蒙古馬のような内陸ユーラシアの遊牧民の優秀な軍馬も日本在来馬と同じ程度のサイズである。馬は一概に大きければ優秀というものではない。室町後期、戦国時代になると、優秀な馬を大量に育成することが戦国武将の重要な関心事となる。下北の蠣崎氏は15世紀から代々モンゴル馬を輸入したといわれており、[要出典]薩摩の島津貴久や、南部駒の産地を支配した伊達政宗は、ペルシャ種馬を導入して在来種の改良を行った。[要出典]しかし、全体としての馬産の方法論は前時代のままであり、淘汰による体系的な品種改良という手法は導入されていない。江戸時代の8代将軍徳川吉宗は長崎の出島の貿易でオランダ商人からアラビア種の馬を輸入し品種改良しようとした。なお、後代の話となるが、14代将軍徳川家茂の時代にフランスで流行病によって蚕が全滅した際に、江戸幕府が代わりの蚕を援助したことの謝礼として品種改良の一助になればとフランスからアラビア馬が贈呈されたが、当時の幕府首脳にフランス側の意図を理解出来る者がおらず、全て家臣や諸侯等への贈り物にしてしまったという話が伝えられている。[要出典]

関東の御料牧場は、戦国時代に関東を制覇した北条氏政によって整備され、上総・下総の広い地域にまたがっていた。これを監督していた千葉氏は後に豊臣氏に滅ぼされて新領主である徳川氏の直轄地域(千葉野、後の小金牧・佐倉牧)となり、同氏が幕府を開いた江戸時代に入ると代官が設置されて最盛期には年間2000?3000頭規模の馬産を行った。
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ところで、江戸期の太平の時代になると、軍馬としての馬の需要は減り、一方で市民経済の発展に伴って荷馬に用いられるものが増えてきた。(既に中世から荷馬として多く用いられていた→馬借)西洋とは異なり日本では馬車は発達せず、馬に直接荷を背負わせる方法が主流であった。また、農馬は田の耕作や馬糞を田畑への肥料とするため飼養された。

明治に入り、明治4年6月5日(1871年7月22日)に平民の乗馬が許可され[2]、民間での娯楽としての乗馬の道が開けた。日清戦争・日露戦争以降には軍馬の改良をすすめるため日本在来馬の禁止などの政策がとられ、本格的な品種改良を伴う洋式競馬も創設された(詳しくは競馬の歴史 (日本)参照)。太平洋戦争後の経済復興期に日本国内の道路網の舗装が整備されて自動車が普及するまで、ウマは農耕、荷役、鉄道牽引などに用いる最もポピュラーな実用家畜であり、ピーク時には国内で農用馬だけで150万頭が飼育されていた。昭和20年(1945年)、連合国軍最高司令官総司令部指令により国による馬の施策、研究、団体の解散が実施された。終戦直後の昭和25年(1950年)に飼育されていたウマは農用馬だけで100万頭を超すが、昭和40年代初頭には30万頭に、昭和50年(1975年)には僅か42000頭まで減った。平成13年(2001年)の統計では、国内で生産されるウマは約10万頭で、そのうち約6万頭が競走馬で、農用馬は18000頭にすぎない。

平成17年(2005年)現在では日本在来馬は8種、約2000頭のみとなった。

なお、道路交通法上、馬が引く車および人の騎乗した馬は軽車両に分類される。

昔から馬を大切にしていた地方では現代でも、馬は「蹴飛ばす」=「厄を蹴飛ばす縁起物」などと重宝しているところもある。

乗用 [編集]

食用 [編集]

乳用 [編集]
モンゴル高原の遊牧民の間ではウマは重要な乳用家畜の一つであり、馬乳は馬乳酒(アイラグ)などの乳製品の原料とされる。

民間薬として [編集]
民間療法として、馬肉には解熱効果があるとされ、捻挫などの患部に湿布として使用される(民間薬)。女子柔道家の谷亮子が使用したことでも有名。また馬肉パックと称して美肌効果を期待する向きもある。また馬脂(馬油は商品名)は皮膚への塗布用のものが販売されている。人間に最も近い自然の油であるため、大やけど、日焼け、虫刺され、しもやけ、しみ、しわ、白髪等に効果があると言われる。

尾毛 [編集]
太く長いので、ヴァイオリンや胡弓、ヴィオール、二胡など擦弦楽器の弓毛に用いられる。またモンゴルの馬頭琴など、騎馬民族の擦絃楽器では弓毛に加え、弦も本来馬尾毛である。この他、織物に使用することがある。

軍用馬 [編集]
軍事に使用される馬。軍馬。歴史的には戦車(戦闘馬車)や騎馬兵の乗用動物として駆使され、モンゴル帝国が騎馬弓兵で世界を圧し、英国やフランスの騎士や日本の武士が弓馬を専らにした。やがて、鉄砲・大砲に代表される火器が普及すると相対的に騎兵の重要度は下がったが、それでも馬の突進力を生かした突撃は、時に勝敗を分ける事もあるほど強力な物であった。第二次世界大戦までは世界各国軍に当たり前に存在した。

アメリカの騎馬隊が有名で、アメリカ陸軍に歴史的経緯上、騎馬隊という名称が残り、軍パレードなどセレモニーに駆り出されるような場合以外はさほど活躍しない。 なお、今のところ実戦で最後に本格的に騎馬隊が運用されたのは、1945年(昭和20年)に行われた老河口作戦での騎兵第4旅団の戦闘であるといわれる。同旅団は日本最後の騎兵旅団である。3月27日に老河口飛行場の乗馬襲撃、占領に成功し、世界戦史における騎兵の活躍の最後を飾った

2009年03月18日

湯の峰王子

湯の峰王子(ゆのみねおうじ)は和歌山県田辺市本宮町湯峰にある神社。九十九王子のひとつで、湯の峰温泉の温泉街にほど近い、東光寺の裏手の丘の上にある。

湯の峰王子は九十九王子のひとつに数えられるものの、例えば藤原定家の参詣記に記述がないなど、中世熊野詣期の参詣記にはほとんど記録されておらず、歴史は浅い。この時期の参詣道が、熊野本宮から熊野川を新宮へと下っており、ルートから外れていること、また、熊野本宮大社参拝に先立っての湯垢離儀礼による潔斎がこの時期には行われていないためである。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

ただ、湯の峰を中世熊野詣の参詣者が訪れなかったわけではない。天仁2年(1109年)、藤原宗忠は、熊野三山巡拝後に船で本宮に帰着した折に湯の峰に立ち寄り、万病を除く名湯と賞賛している(『中右記』)が、これは長旅の疲れを癒すためであり、信仰上の意義が存するわけではない。1134年(長承3年)には、鳥羽院の御幸に同行した待賢門院も、休養のために湯の峰を訪ねることを企図したが、時宜を得ずに中止している。

史料初出は、鎌倉時代末、正中3年(1326年)の仁和寺文書『熊野縁起』に湯峰童子とあるものであり、中世熊野詣の盛期とは大きく離れている。湯垢離儀礼による潔斎の定着もこの時期からと考えられており、儀礼の定着に伴って新たに設けられたものと考えられる。その一例として、足利義満の側室、北野殿らの一行による参詣記に、日中に本宮に到着してから、夜に行われる奉幣の前に湯の峰を訪れている例がある。

室町期ころから熊野詣が衰勢し、かわって盛んになった西国三十三箇所の一部に中辺路が組み込まれるようになると、参詣者たちは、熊野那智大社から雲取越えを行い、温泉での休息後、しばしば熊野本宮へ立ち寄ることなく赤木越ルート経由で三越峠へ連絡し、紀伊田辺方面へ直接帰路をとるようになった。

近世以降の記録にはときとして名が見られ、『紀伊続風土記』には社領5石、修造は官営によるとの記述があるほか、本宮大社の管理下にある末社であったことが判明する。もとは東光寺の境内、寺堂の右にあったが、1903年(明治36年)5月の火災で、東光寺の本堂ともに焼失、現在地に再建された。

2009年03月02日

オーラバトルシップ・ゲア・ガリングを建造

クの国
ビショット・ハッタ
声 - 曽我部和行
クの国の国王。ドレイクと軍事同盟を結び、オーラバトルシップ・ゲア・ガリングを建造して戦線に参加する。後にゲア・ガリングと共に地上へ送られる。ルーザと密通しており、後に政治的にも手を組むが、結局、ドレイクとルーザの双方から利用され翻弄されただけであった。
ガラミティ・マンガン
声 - 佐藤正治
ニェット
声 - 戸谷公次
ダー
声 - 高宮俊介
3人で「クの国の赤い三騎士」と呼ばれる(『機動戦士ガンダム』でおなじみの「黒い三連星」のセルフパロディと思われる)。一部を赤く塗装したAB・ビアレスに搭乗し、「トリプラー」と称する3機連続攻撃(黒い三連星のジェットストリームアタックと同様に3機が同じスピードで一直線に並んで突進、目標に連続攻撃をする戦法)を得意とするが、先頭のガラミティはショウのビルバインにやはり踏んづけていかれ(この時のショウのセリフは「俺だって!!」と、まるでアムロを意識しているとも取れる物である)、後続のニェット、ダーはほぼ同時に倒される。

ナの国
シーラ・ラパーナ
声 - 高橋美紀
ナの国の女王。嵐の壁でショウに助けられたことから、ナの国の新型可変AB・ビルバインをショウに与え、自らもオーラバトルシップ・グランガランに乗り込むが、地上へ送られてしまう。ショウに惹かれてはいるが表に出すことはなかった。最終決戦において戦火を終息させる重要な役割を担う。容姿端麗な凛とした佇まいで日本アニメ史に残る人気美少女キャラの一人であり、視聴者だけでなく制作者側でも彼女の作画を担当したがるアニメーターが続出した。出渕裕が愛している[8]。
『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンが演じる王女様がモデルである[3]。
当初は同名の男性の老人キャラとして登場する予定であった。
エル・フィノ
声 - 富沢美智恵
シーラについているミ・フェラリオ。エンディングに登場しているのは彼女である。
ベル・アール
声 - 西城美希、『スーパーロボット大戦シリーズ』では吉田小南美
シーラについている幼いミ・フェラリオ。オムツを履いており「(最後の戦いになるのは)最終回だからか?」という迷言を残す。
カワッセ・グー
声 - 広森信吾 ※現・拡森信吾
シーラの忠臣。グラン・ガランの艦長を務める。名は製作に携わった川瀬敏文から。
ナベン・ワタ
ナムワン型オーラシップの艦長。ドラムロ隊のトリオコンビネーションによりグラン・ガランが被弾したのを見て盾となるべく突出する。艦の対空砲火と搭載機により敵AB数機を撃破し編隊の切り崩しに一部成功するものの、単艦で突出したために味方からの支援を受けられず、編隊を解除したAB隊の包囲攻撃を受け乗艦とともに爆散する。第44話のみ登場。名は脚本家の渡邊由自から。

ラウの国
フォイゾン・ゴウ
声 - 西村知道
ラウの国の国王でエレの祖父。ニー・ギブンと協力して物語の前半において反ドレイク陣営の主力となり、オーラバトルシップ・ゴラオンを建造した。ショウを聖戦士と認める。自らも専用カラーのABボチューンに乗り込んで戦うが、第29話で戦死する。
エレ・ハンム
声 - 佐々木るん
ミの国の王女。ラウの国フォイゾン王の孫娘で、後にラウの国の女王となる。霊力(オーラ力が異質な形で発現したもの)をもち、未来の予見や悪意の察知などのかたちで度々ショウたちに危機を報せた。ドレイクの攻撃で母親の故郷に共に逃れるが受け入れられず、またドレイクの脅威に対抗するために霊力を高めようと霊山・ボンヤー山に篭る。強獣ズバダに襲われた際に発散したその力が、東京のショウを再度バイストン・ウェルに呼び寄せる助力となる。フォイゾン王亡きあとはゴラオンを率いてショウたちと共に戦い、後に地上世界へゴラオンと共に送られる。互いに惹かれあったソ連特使トルストールの戦死に際しては立場も忘れて泣き暮らすが、キーンやマーベルらの励ましで立ち直り指導者として生きることを決意する。
大国のラウやナではなく小国のミで育ったためか、高貴な雰囲気を漂わすシーラと異なり、より庶民的で親しみやすい性格である。
エイブ・タマリ
声 - 堀部隆一
ラウの国フォイゾン王の家臣。オーラシップ・グリムリーの艦長。フォイゾン王の死後はオーラバトルシップ・ゴラオンの艦長として、王の戦死後もエレを支える。新型AB・ビルバインを与えられ図に乗っていたショウを殴って諌めるなど、各所において年長者としての役目もこなした。最後は霊力を使い果たし息絶えたエレの亡骸を抱えながらゲア・ガリングに特攻し戦死する。
プラドン
ペーゲル
ガント
ラウの国の家臣。プラドンはフォイゾン王との別離の描写から、古くからの臣と思われる。3名ともタータラ城攻防戦で戦死する。プラドンはその死に際し「花は春 夏は陽炎 秋紅葉 冬の白雪 既に無し」と辞世の句を詠んでいる。名前の由来は古代ギリシアとプロイセンの哲学者プラトン、ヘーゲル、カントから。

ミの国
ピネガン・ハンム
声 - 中村秀利
ミの国の国王。エレの父親。ドレイクの侵略の矛先を向けられたため、和平交渉のために重臣をドレイクのもとに送ったが、ドレイク側の返答は使者の殺害だった。その後、パットフットとエレを避難させてニー・ギブンらとともに居城キロン城で防戦するが、乗艦の「ナムワン2」を撃沈され戦死。
パットフット・ハンム
ミの国の王妃。ラウの国の国王フォイゾン・ゴウの娘だが、かつてピネガンと駆け落ちしたため、親子の縁を切られている。キロン城落城後、父を頼ってラウの国へ赴くが拒絶されてしまい、霊力を高めるために山に篭ることを決めた娘を連れて退去する。後に娘のエレを攫いに来たジェリルの部下によって殺されてしまう。
ショタン
ピネガンの側近。和平交渉のため志願してドレイクの陣屋へ赴くが、交渉の席で暗殺される。

フェラリオ
ナックル・ビー
声 - 佐々木優子
マーベル・フローズンを地上に召喚したエ・フェラリオ。その罪でガロウ・ランに変えられコモンの世界に落とされていた(そんな中トッド・ギネスを助けてもいる)が、マーベルの懇願を受けたジャコバによって罪を軽減された。
ジャコバ・アオン
声 - 吉田理保子
妖精(フェラリオ)の長。ショウにオーラマシンを全て破壊するように依頼するが、激しくなるばかりの戦火に業を煮やし、自らの命と引き換えに全てのオーラマシンとその乗員を地上へ送ってしまった。同名の存在がOVA版「リーンの翼」にも登場しているが、パラレルワールド性が加味されているため、全くの同一人物というわけではない模様。また、「重戦機エルガイム」の世界観にも関与しているという永野護による説がある。
ゲーム『聖戦士伝説』では、主人公がオーラバトラーを作っていないと、ロウルートのみではあるが、強化パンツァーを与えてくれる。
シルキー・マウ
声 - 池田昌子
上級妖精(エ・フェラリオ)。ドレイクに捕らわれ、ショウ達地上人を召喚させられる。後にショウに助けられ、ショウがジャコバに会うきっかけを作ったが、自身は罰を受けミ・フェラリオにされた。その後の姿は「New Story of Aura Battler DUNBINE」で描かれている。

その他地上人
トルストール・チェシレンコ
ソ連からゴラオンへ和平の特使としてやってきた青年将校。エレに惹かれ、エレのためにAB・ポゾンに乗り込むが、撃破され、AB・ボチューンに乗り換えて黒騎士に対して相討ちをねらうが、返り討ちに合い戦死。第35話のみ登場。
ニジェンスキー
ソ連政府の秘書官。キエフ付近に出現したグラン・ガランへ、友好のための使者として派遣される。乗艦の際、衣装棚に偽装した時限式の核爆弾を持ち込むが、下艦後にエル・フィノらに見破られてしまう。
チャーリー・カミングス
声 - 龍田直樹
アメリカ大手電機メーカーIBNのニューデリー支社の社員。レーダー機器のメンテナンスのためにゴラオンへ乗り込む羽目になる。ラナ・パーキンスンとは過去に恋仲であった模様。
フレデリック
声 - 林一夫
ラナ・パーキンスン
声 - 島津冴子
2名ともアメリカIBN社の社員。ニューデリー支社がゴラオンへの機器の売り込みに成功したことを知り、それに倣ってゲア・ガリングへ機器を売り込む。ラナは後にリムルと共にゲア・ガリングから脱出し、ドレイクの計らいによってアメリカへ帰還した。
チヨ・ザマ
声 - 高島雅羅
ショウの母親。教育評論家。ショウがダンバインと共に地上界に出現した際、世間体と固定観念から頑なにショウを拒絶した。
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

シュンカ・ザマ
声 - 土師孝也
ショウの父親。ショウを受け入れようとしたが妻の強烈な拒絶にあい断念。
ヨウコ・カワハラ
シュンカ・ザマの秘書。
バルベラ
声 - MIO ※現・MIQ、ゲスト出演
マーベルの友人。ハワイに住んでいる。
ジャバ
ショット・ウェポンの幼馴染。オーストラリアでスプリガンに収容される。搭乗機はライネックでパイロットとしての能力は非常に高く、二度に渡ってビルバインに損傷を与えた。巨大戦艦のバリアーの内側から攻撃を行う通称「バリアー破り」と呼ばれる攻撃を初めて行った人物であり、ゲア・ガリングがナ・ラウ連合軍に包囲された際、グラン・ガランの艦橋を攻撃してシーラ・ラパーナに重傷を負わせ、ナの国軍を脱落させたが(この戦いの後、巨大戦艦に対する攻撃は専ら体当たり攻撃が主流となる。)直後にショウ・ザマに討たれて戦死した。内容は異なるがトルストールと並んで、物語の展開に影響を与えてしまった「通常の地上人」と言える。第41話のみ登場。


2009年02月11日

ライオットアクト

オープンワールド型アクションゲームである。製作者は『グランド・セフト・オート』(Rockstar Gamesが製作)の生みの親であるデイビット・ジョーンズ。プレイヤーは町に蔓延る悪の組織を壊滅する使命を帯びたエージェントとなって、組織を壊滅させると言う内容である。基本的な内容は銃で悪人を撃ったりと言った物であり、暴力表現があるとして18歳未満の購入が制限されている。経験値の概念がスキル制と言う形で採用されていて、敵を抹殺する度にアクションの幅が増えていくのが特徴で、近代的かつ現実的な世界において超人的で自由なアクションを行えると言うのが本作の醍醐味である。物理エンジンはHavokを使用しており、約1.5km四方にも及ぶMAPにはエージェントの特殊技能を上げる以下の様々なイベントが用意されている。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

アジリティオーブ - 移動スキルを上げる効果のあるオーブ。マップ全体に計500個用意されている。
シークレットオーブ - 全スキルを上げることができるオーブ。マップ全体に計300個ある。
ルーフトップレース - 移動スキルを上げることができるレースイベント。初期状態で12、後述する「ゲッティングビジーボーナスパック」で9つ追加される(追加分は実績には関係しない)。
ロードレース - 運転スキルを上げるレースイベント。マップ上に14個存在する。
スタントマーカー - 車で空中の特定のポイントを通過することで運転スキルが上がる。
ストックパイル - 「ゲッティングビジーボーナスパック」追加イベント。周辺に出現する100個のオーブを集めたタイムを競う。協力プレイ時は2人がそれぞれ獲得したオーブの数を競うこともできる。
チェックポイントチェイス - 協力プレイ時専用の「ゲッティングビジーボーナスパック」追加イベント。シティ内にランダムで設定されるチェックポイントまで相手プレイヤーと競争する。
ロケットタグ - 協力プレイ時専用の「ゲッティングビジーボーナスパック」追加イベント。2人のプレイヤーが追う側と追われる側になり、追う側が持つロケットランチャーから1分間逃げられれば勝利。
難易度は低・中・高の3種類が用意されている。Xbox Liveやシステムリンク機能を使えば他のユーザーとの協力プレイが可能となっている(協力プレイにはハードディスク必須[1])。

開発に与えた影響
本作の製作中にXbox360用ソフトにおける実績およびゲーマースコアに関する基準がいくつか変更された。

開発側からの要望により実績の限度数が従来の50から80に変更された[2](ただし実際のゲームで獲得できる実績の数はダウンロードコンテンツを含めて50である)。
総ポイント数についても従来の1000Gの他にダウンロードコンテンツによる250Gの上積みが行えるようになり、基本の1000Gの一部を無料のダウンロードコンテンツに割り当てることもできるようになった。なお本作は2007年2月にマイクロソフトが発表した「ゲーム本体と無料のダウンロードコンテンツで1000Gを網羅しなければならない」というゲーマースコアに関する新しい基準のサンプルとしても挙げられている。[3]
本作の初期状態で獲得できる実績は43件900Gであり、ダウンロードコンテンツにより7件350Gの上乗せが行われる。上乗せ部分は獲得に必要なダウンロードコンテンツの種類により以下の3つに分けられる。

無料ダウンロードのみで獲得できる部分: 初期状態で未使用だった100G(1件)と、ダウンロードコンテンツ枠250Gの内40G(1件)
無料ダウンロードのみの利用でも、有料ダウンロード利用者との協力プレイで獲得できる部分: ダウンロードコンテンツ枠250Gの内40G(3件あり、その内訳は20Gが1つと10Gが2つ。ちなみに10Gのものの内1つは協力プレイに関する物である)
有料ダウンロードでないと獲得できない部分: ダウンロードコンテンツ枠250Gの内170G(2件)

更新事項
XBOX Liveに接続する事で様々なコンテンツをダウンロードしたり、タイトルアップデートを行える。

ダウンロードコンテンツ
マーケットプレースでは2つの拡張ファイルやゲーマーアイコンなどが配信されている。

エージェントパック(無料) - エージェントの容姿が4タイプ追加され計12タイプとなる。
フリーフォーオールパック(無料) - ゲーム中の様々な制約を任意で変更できるチートモードや敵組織および一般市民の車の押収、7つの実績を追加。協力プレイ時には「ゲッティングビジーボーナスパック」を購入していなくても追加武器や追加車両、4種類の追加イベントを利用できる。これは「フリーフォーオールパック」と「ゲッティングビジーボーナスパック」のファイル自体は同じ内容であるため。
ゲッティングビジーボーナスパック(800MSP) - フリーフォーオールパックの内容に加えて、5種類の特殊武器と3種類のエージェントカー、4種類の追加イベント、そして新たなゲームモード「ストリートレース」を追加。
エージェントゲーマーアイコンパック(160MSP) - エージェント8人のアイコン。
犯罪組織ゲーマーアイコンパック(120MSP) - 犯罪組織のロゴとボス達の6種のアイコン。
お楽しみゲーマーアイコンパック(240MSP) - エージェントや犯罪組織などにアレンジを加えた12種のアイコン。
アクションテーマ(150MSP) - エージェントのアクションシーンによるテーマファイル。
ミニマルテーマ(150MSP) - ゲーム中の4組織のロゴが単色背景に刷り込まれたデザインのテーマファイル。

2009年1月現在  昨年の12月以降フリーフォールオールパック、ゲッティングビジーパックなどがダウンロードコンテンツの中から削除さ れてしまっていて利用不可能な状態。再配信は未定。ただし北米版のダウンロードコンテンツでは現在も配信中

タイトルアップデート
2007年5月からタイトルアップデートが配信され、ゲーム中の問題点が改善された。

オーブを一定以上獲得することで、同種のオーブをより遠くから関知できるようになる。
スタントマーカーの発見が容易となる。
全車種でランプトラックを使ったジャンプが可能。
ロックオンと射撃精度の改善。
格闘能力がレベル4になると、ジャンプして着地する際に特殊攻撃「グラウンドストライク」が行える。
リモート爆弾の設置後、どこまで離れても効果が継続する。
距離に関わらず遮蔽物がなければ爆発が確認できるようになる。
カメラ位置の安定。
元々クリア後のプレイ時には部下の出現のON/OFFを選択できていたが、これが廃止され代わりに幹部やボスが復活しステータスを維持した状態で最初からプレイする「クライムリターンズ」が登場。
当初のアップデートではアップデート以前のセーブデータを使用した際にソロプレイをせずに協力プレイをするとデータが消えるという問題があった[4]。

登場人物
エージェンシー
エージェントが属する「エージェンシー」の正式名称は「国際警察機構」であり、全世界での犯罪の蔓延に対抗するために結成された警察組織である。

エージェント
プレイヤーは平和を守るエージェントである。彼は様々な分野において特殊強化を受けた人造サイボーグであり、常人を遥かに超える驚異的な運動能力を秘めている。ビルの頂上を跳んで移動する跳躍力やトラックを持ち上げる怪力等、以下の5種類の「エージェントスキル」を備えており、対応する方法で敵を倒したりすることで短時間での強化が可能である。
移動 - 足の速さやジャンプ力に影響する。
運転 - 車の運転に関する技能。レベルが上がると空中での制御能力がアップしたり、エージェント専用の車「エージェントビーグル」の特殊能力が使えるようになる。
爆破 - 手榴弾やロケットランチャーなど、爆発物系の武器の効果範囲や威力に影響する。
格闘 - 近接戦闘や重量物の持ち上げおよび投擲、敵の攻撃に対する耐久力に影響する。
射撃 - 射撃時のロックオン精度に影響する。
エージェントは特権的に武装や発砲などが認められており、民間から車を借用するといった行為も許されている。ただし市民に危害を加えるのは如何にエージェントと言えど許されていない。
エージェントの優れた人体強化技術はシャイゲンに所属する研究者バルタザール・チェルネンコの「スーパーソルジャー計画」をエージェンシーが独自に転用したものである。エージェントはたとえミッション中に死亡した場合でも、すぐさまその能力を受け継いだクローンが作られる為、死亡する事を恐れず勇敢に戦える。
ピースキーパー
ピースキーパーとは、今や町の中心のみとなった「キープ」の本部に所属する武装警察である。過激なギャングすら恐れる事のない勇敢さと正義感に満ちた頼もしい人材が揃っている。彼らは本部の警備の他、町の巡回なども行っており、時にはエージェントの危機に駆けつけ、また逆に救援を請う事もある。ピースキーパーの目的は市民の安全の確保である為、エージェントが市民に対して殺傷を行うと敵意を剥き出しにして襲ってくる。

エンディングでは、エージェンシーが裏で3つの犯罪組織を支援し既存の秩序を崩壊させた上でエージェントを送り込んで犯罪組織を壊滅させ自らが新たな秩序の中心になる、自作自演とも言うべき計画を練っていたことが語られている。

ギャング
このゲームにおける唯一最大の敵である。ボスを中心に様々な幹部と構成員とで組織されている。互いの利害関係が一致したその連帯感はピースメーカーにも勝るとも劣らない。

プレイ開始時には物語の舞台となるパシフィック・シティを巡って3つの集団が権力争いを繰り広げている。主だったギャングは、麻薬の売買を中心に急成長を遂げたロス ムエルトス(Los Muertos)、傭兵こぼれが暴力を武器に結成したヴォルク(Volk)、研究結社が個人に買収され町を牛耳るまでに巨大化したシャイゲン コーポレーション(Shai-Gen)の3種である。町に巣食うギャングの幹部達は各組織にボスも含めて7人ずつおり、全21人を始末する事がエージェントの至上命令となっている。

エージェントの活躍が組織の耳に入ると、ヒットチームと呼ばれる特殊暗殺部隊が差し向けられる。ヒットチームは通常のギャング集団より統制された警戒網を敷いてエージェントを追い込もうとする。エージェントが一定時間身を潜めれば、ヒットチームは退散する。

ロス ムエルトス
ロス ムエルトスは元々は麻薬密売組織であり、その収益で組織を拡大していった。構成員は近距離での格闘技術に長けている一方、車の改造技術も高く構成員達はその機動力で「ラ ムグレ」と呼ばれる南西部の一帯を支配している。

なおロス ムエルトスという語は日本語に訳すると「死者」となるが、これは当初は自分たちを強大な物に見せかけるために名乗った物であった。

ホアン マルティネス
組織内の情報収集担当かつ金庫番的存在。
ホセ グエラ
ラ ムグレ南東のナイトクラブのオーナー。クラブで出している麻薬入りのカクテルは組織の主な収入源である。
バイオレッタ サンチェス
組織の構成員の勧誘役。アメとムチの使い分けに長けているセクシーな女性幹部。
ロドリゴ アルバレス
組織の構成員達の格闘能力を鍛える男。
ラファエル ディアス
かつて世界にその名をとどろかせた車泥棒。組織の車は彼がチューニングした物であり、組織の機動力の要である。
ラモーン ゴンザレス
組織の武器を調達する。
ドン ドミンゴ ガルシア
ロス ムエルトスのボス。

ヴォルク
ヴォルクは元々東ヨーロッパで活躍していた傭兵達が、大きな収入を求めて犯罪組織となった物である。彼らは密航させた移民を戦闘員や工場での労働者として酷使し、工場の収益で大量の兵器を確保して南東部の工業地帯「デン」を支配している。

シャイゲン
シャイゲンの前身は政府出資の研究施設である。しかし研究所が謎の人物に買収され、市民の洗脳と強大な軍事力により市民を支配するようになった。彼らの勢力圏は高層ビルや高級マンションが建ち並ぶ北ブロック「コリドー」である。

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

その他
日本においては「RIOT ACT エージェント 日記」と称した参加型のブログが公開された。やり込みやプレイ日記などユーモラスなブログが多数紹介されている。優秀者にはトップエージェント賞として、ギフト券やTシャツなどの商品が送られた。[5]
日本版とアジア版のパッケージイラストはモンキー・パンチが担当した。また日本語ナレーションは小林清志が担当している(英語ナレーションはマイケル・マコノヒー)。
日本版でも本体の言語設定によって英語の他ドイツ語や中国語などの字幕やナレーション(一部言語のみ)でプレイすることができるが、どの言語に設定しても日本版ではタイトル画面に出るタイトルは「RIOT ACT」である(日本語以外の設定で海外名「CRACKDOWN」にはならない)。日本版のディスクをアメリカ本体で立ち上げるとタイトルは「CRACKDOWN」になる。
本作の購入者は2007年5月17日から6月11日まで行われたHalo 3のβテストに参加できた[6]
Halo3のβ版とダウンロードコンテンツの追加に関して、それぞれ配信が遅れるトラブルがあった。[4][7]。
XBOX Liveでは制限付きの体験版が無料配信されている。マップはロス ムエルトスの支配地区の南半分限定で、最大60分(ただしエージェントスキルの内いずれかがレベル2になるか、4人いる幹部の内2人倒すとそこから30分に短縮される)のプレイが可能である。なお協力プレイも可能だが製品版と違って最初から相手プレイヤーを用意しなければならず(製品版ではソロプレイ中の他プレイヤーのゲームに入ることが可能)、相手プレイヤーについても制限がある。

2009年01月26日

入手方法と流通形態

基本的には発行同人に連絡をとって入手するものである。しかし、連絡先を知るためにはまずその同人誌を入手して連絡先を知る必要が生じるので、場合によっては同人誌の存在を知ってはいるものの、連絡がとれずに入手出来ないこともある。そのため、関連する商業誌に紹介ページが用意されることが多い。また『宇宙塵』のような中核的同人誌に掲載されることで、他の同人の存在が周知されることもある。また、同人になることでしか入手できない場合・または購読会員という形で同人に所属することを必要とする場合もある。CLAMPを筆頭とする女性系サークルのように通販を一歩進めて、ニュースペーパーを発行するなど購読会員としての囲い込みを行うところも少なくない。

市場の拡大が進んだ漫画・アニメ・ゲームの世界では、コミックマーケットを初めとする同人誌流通のための市場である同人誌即売会での入手が一般的である。現在は同人誌を専門に扱う書店(同人ショップ)などでも購入が可能であるが、多くは流通コストを加味した高い価格になりがちである。ネットでの販売も行われており、サークルの持つウェブサイトを利用した通販が多いが、デジタルで作成されたデータをPDF形式で頒布することもある。

一方、文学系同人誌は旧来の発行同人に連絡を取って入手するか、発行同人の事務所が存在する地域にある委託書店で購入する以外の方法は極めて少ない。また、出版形式はもちろん、連絡手段や宣伝などを含め、コンピュータの利用は漫画・アニメ同人誌と比べると、利用が非常に低いことは大きな特徴である。「ぶんぶん!」「文学フリマ」など、文学系同人誌の即売会も少数ながら存在する。

同人誌を取り巻く状況

同人誌市場の拡大と営利化
当初、同人誌を頒布する機会はほとんどなく、僅かにSF大会や、学漫であれば文化祭などで頒布する以外は、制作者近辺でしか流通しなかったが、1975年のコミックマーケット第1回開催により状況が一変する。コミックマーケットの開催目的は、一般流通で頒布することのできない、素人による同人誌専門の流通市場の創設だった。当初、32サークル、参加者700人で始まった同人誌即売会という市場の出現は、それまで制作者と読者が同一であった同人の世界に、明確な「読者」という存在を作り出した。翌年、同即売会の運営母体であった迷宮発行の『萩尾望都に愛をこめて』に掲載された萩尾望都作品『ポーの一族』のパロディ『ポルの一族』によって、エロ要素を含むパロディが同人誌において重要な存在となっていく。 そしてパロディが主流となっていく中、廃れ行く創作系においても新たな展開を模索する動きがあり、京都を中心に活動した球面表着(きゅうめんひょうちゃく)のように漫画以外に特集コーナーなどの雑誌的要素を取り入れるものもあった。

その後、市場の拡大により同人誌印刷を行う印刷所も増え、それに伴う印刷コストの低減、DTPの普及、コピー、プリンター等の低価格化によって、形態は多様化していった。同時に内容も、創作漫画、漫画批評、アニメファンジンに止まらず、パロディやサブストーリー、エロティックな描写や小説など多様化した。1980年代前半にはロリコン、アニパロが、後半にはやおいがキーワードとなる同人誌が流行した。また、1990年代に入ると、グラフィックが十分な性能を備え出したことからかゲームに対しても、攻略、サブストーリー、エロパロなどの同人誌が増えていった。対象も広がり、鉄道やコンピュータ、モバイルなどあらゆる分野について、技術的な内容(特に裏情報)を深く掘り下げたもの、噂やパロディなど商業誌では取り上げられない内容を扱うものも出現している。

その一方、同人誌活動の営利化(商業化)という問題がある。本来は経済的利益の追求とは無関係に趣味として作成と販売が行なわれていた同人誌だが、おたく人口の増大とマーケット拡大により、特に人気同人誌の売り上げ額は非常に大きくなった。一定数の売り上げが見込めるほど流通市場が拡大したことにより、プロやセミプロの作家が同人誌で小遣い稼ぎをするという光景も見られるようになった。その反面、同人誌は商業誌が商業利益追求のために切り捨てた部分を補う役目を果たすようになっている。商業誌で人気がないため連載が打ち切りになったり、出版社の倒産などで掲載誌そのものが廃刊となった場合に、作家が自己の作品の続きを同人誌で発表したり、単行本化されない作品を同人誌で発行するという形も見られる。原稿が散逸したり、出版権などの権利関係が複雑で商業ベースでの復刻が難しい作品を、同人誌で復刻したりすることが行なわれている。

税務署はそれまで同人誌の売上収入に対して所得税の課税を行なってこなかったが、イベントでの同人誌やグッズ販売により得た利益を申告せず、6000万円の追徴課税を受けた者が現れて以降、同人誌の売り上げに対しても課税処分を行う動きが活発化しつつある。これに対応して、プロが同人誌を出す場合、税理士に相談して所得が発生しないようにする場合がままある。同人誌で生活していると言える作家の場合、ページ数の少ない本を大量に発行することによって、必要経費を多く算入する工夫をしている。また、こういった発行物を大量に仕入れ、ネットオークションや漫画専門の古書店に売りさばく「転売屋」と呼ばれる存在もある。

同人誌と青少年を取り巻く問題
特にコミックを中心とする同人誌での性描写に対し、青少年の健全な育成を主張する勢力から、環境犯罪誘因説や割れ窓理論などを根拠に、表現規制を求める声が毎年強まっており、後述の著作権よりも一層深刻な問題となっている[3]。

その一例として「青少年健全育成条例」(都道府県によって名称は異なる)や「児童ポルノ法の改正案」で導入を進めている「実在しない児童の絵や声(準児童ポルノ)に対する規制案」および「(準)児童ポルノの単純所持に対する罰則の新設案」など、児童の保護を口実に同人誌を含むコミックの性表現を規制しようとする運動があり、少なくともどちらか一方が可決されれば、規制の際の論拠として十分足りるものとなる。

さらに、前述の改正案が可決され、性表現の規制が厳しくなれば、今度は「コミックの規制に乗じ、暴力・犯罪などの表現も合わせて規制」しようとする動きもある[4]。同人誌においては、性描写の全くない同人誌までも規制しようとする動き[要出典]まで見られるようになっており、特に地方では死活問題となっている。

また、幾つかの市民団体や推進派らが管理者(地方公共団体、企業など)に対し、公共施設(コンベンションセンター(展示場)、多目的ホール、貸し会議室など)を同人誌即売会の会場として提供しないよう陳情する運動も行われ[要出典]、後述のように東京都立産業貿易センターが同人誌即売会の会場(特に成人向け同人誌)として提供することを拒否し始めるなど、首都圏内においては次第に活動が困難となりつつあり、近畿圏や地方においても(保守的な気質の地域は特に)その影響を強く受けていることから、大手同人ショップの実店舗が地方へ進出されない原因のひとつになっている(青少年への影響論によるものだけでなく、地方での需要や採算がないこともまた、実店舗が進出しない原因にある)[要出典]。

これらの運動は、同人誌には文学系のものなど芸術性の高いものもあり、また必ずしも全ての同人誌の内容が卑猥かつ反社会的とは言いきれないにもかかわらず、「同人誌や同人ソフトは全て低俗で反社会的なもの」[要出典]という、誤った認識や偏見に基づく不当な運動である場合もある。

その一方で、一般的な感性の人々が嫌悪するような性描写のある、いわゆる『成人向け』の同人誌などが数多く存在するのは否めない事実であり、それらが同人誌即売会において、一般向けとの区分が曖昧なまま購買側の年齢などの確認が充分に行えない方法で販売されていることに対しては、何らかのゾーニングが必要であるとの問題意識もある[5]。しかし、成人向けではないものを含む全ての同人誌即売会について、高校生も含めた児童の参加を一律に禁止すべきとする、モラル・パニックに近い批判の声まで上がっており、仮に性描写のある同人誌の販売を一切禁止するなどの規制を敷いたとしても、そのような状態に陥っている層からの理解は得られないともみられており、同人に対する汚名の返上が困難を極めている。

特に2000年代の情勢を考慮して、2006年以降のコミックマーケットでは修正関連も含めて規則を強化している。また、2007年8月23日に起きたわいせつ図画頒布容疑での同人作家の逮捕や、同年10月下旬に起きた同人誌即売会に対しての会場(東京都立産業貿易センター)の貸し出し拒否の波及などを受け、印刷業組合や各同人誌即売会の主催者などは、ガイドラインの制定や規則に沿った修正を確実にするよう促している。

なお、日本(世界)最大の同人誌即売会であるコミックマーケットに固有の、安全性や地域住民の理解・会場確保に関する問題については、コミックマーケットの項を参照されたい。

同人誌と著作権問題

同人誌市場における著作権慣習
現行の日本の著作権法では、フランス知的保有権法典第122条の5第4項のパロディ条項のようなパロディを正面から認める法理が存在せず、判例・通説もパロディを例外として認めていないため、原作の著作権者の許諾を得ることなく二次創作物を不特定多数への販売することは、原則として著作権侵害となる。一方で、漫画というメディア自体がパロディを高度な表現手段として確立してきた経緯、商業作家が自らの作品のパロディを同人誌で作成する状況などがあり、一面的な法解釈についての疑問もある。

ディズニー、サンライズ、任天堂やコナミのように、二次創作物に対し法的手段を用いて積極的に規制する企業がある一方で、ファンクラブの延長線としてとらえ[6]、又は宣伝効果や相乗効果を期待して、著作権元に実害が及ぶような内容や著しく反社会的な態様の作品でもない限り、あえて黙認[8]している著作権者も少なくない[9]ため、一概に無許諾ともいえない状況にある[10]。

また、一部の企業にはガレージキット(キャラクターのフィギュアなど)などを中心に即売会会場で制作者に利用を許諾し、比較的少額の対価で販売権を与える(『当日版権』という呼称)などの発展的な試みをしている場合があり、有力パロディ元の一つであるアダルトゲームメーカーでは、一定のガイドラインをもうけた上で二次創作を認めるなど、明示の許諾に切り替える動きもあるが、多くの企業は現時点ではこの問題に未着手である。

出版社やコンテンツ配給会社なども、同人誌即売会の有名作家をヘッドハンティングして質の高い作家を集めたり、新人賞などをとった作家の修行先としての役目を果たしている側面もあるため、黙認しているのが現状である。さらに講談社では、コミックマーケットの企業スペース内に少年マガジン編集部ブースを出展し、原稿持ち込みを受け付けるなど、むしろ積極的に認めるかのような行動を取っていたこともある。

個人においても、プロを志す者がその過程の一つとして二次創作物を制作する場合がある。すなわち、二次創作の元となる作品を供給している側も、かつては自分が二次創作によって創作技術を磨いてきたという事実がある。中には、プロとなってからも同人誌等で堂々と二次創作を行っている例も多い。また、高いレベルの二次創作家がプロにスカウト、またはスポット的な仕事をすることがある。こういったことにより「消費のみのファン - 二次創作家 - プロ作家」の区分が流動的になっている。その意味では、二次創作はプロ作家などの有力な供給源で[11][12][13]、作品の多様性と高品質を支えており、消費のみのファンにとっては製作側に親近感を抱きやすくし、製作側にとっても消費側との乖離を防ぎニーズを吸い上げやすくしていると言える。

他の先進国(特にアメリカ)と異なり、このように著作権侵害に当たるような行為を著作権者が「黙認」することによって、製作側・消費側ともに断続面のない厚い地層が形成されていることが、現在の日本における漫画・アニメ隆盛の原動力の一つとなっていると言え、既にほとんどの製作側にとっても不可分と言える。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

一方で、著作権法で容認され、文章系では当たり前に行われている批評などのための引用も、著作権元の許可が必要という認識が強い。これは企業のみならず、同人も含めた作家についても同様である。小林よしのりと上杉聰らの間で争われた「『脱ゴー宣』裁判」では絵の引用が争点となったが、2002年(平成14年)4月26日に、絵の引用は合法とする最高裁判決が出ている(ただし、レイアウトの改変は違法とされた。)。

この判決は、コミックマーケットがシンポジウムで取り上げるなど、同人誌にもある程度の影響を及ぼした。しかし前出のサンライズなど、現在でも判例を無視して一切の画像利用禁止を告知している企業もある。

著作権紛争の発生事例
そのような中、2005年12月30日に開催されたコミックマーケットで「AQUA STYLE」というサークルから頒布される予定だった「MALIGNANT VARIATION FINAL」という映像作品が、著作権元から警告を受けて販売中止になったとして、各所で波紋を呼んでいる。

警告が成されたのは全ての準備が整ったコミックマーケット開催前日で、約4万枚の全てが廃棄処分に追い込まれ、サークルは300万円を超す損失となった。1枚1890円で総売り上げが7000万円以上になる事から、さすがに無視できなくなったとされる。ただし、実際に警告を受けたのは「FINAL」ではなく、同じ「MALIGNANT VARIATION」(通称「マリグナ」)シリーズの「味を見ておこう」で、警告のタイミングが自主回収とイベント頒布中止の直前であったため混同されている。だが、どちらの作品も著作権侵害映像作品であり、作品の種類・名称を問わず問題であることは明らかである。

当の警告を発した著作権元は明らかにされていないが、警告後にイベント専売用に製作された映像作品「KITE'S BIZARRE ADVENTURE」が事実上「MALIGNANT VARIATION」シリーズの後継作であり、その作品に今まで出てきていた特定のキャラクターが出なくなった事から、そのキャラクターを扱う著作権元が警告主ではないかと、インターネット掲示板等で噂されている。

当時、同時期に同ジャンルのサークルが多数警告を受けており、ある程度は想像することができるが、警告を受けたサークル側が警告主を類推(特定)できる方法を取り、著作権的に問題のある映像を警告後も販売し続けている事実が物議を呼んでいる。

また、同年田嶋安恵が「田嶋・T・安恵」の名義で都市伝説を元にした「ドラえもんの最終回」を発表。2006年になってからは各メディアでも取り上げられ、問い合わせがあるなど反響の大きさに慌てた出版元の小学館と著作権元の藤子プロが著作権侵害を通告し、田嶋に在庫の廃棄処分と不当に得た利益の返還を命じた(ドラえもん最終話同人誌問題)。この事件は、原作者が物故者という状況下における事例であって、この影響がただちに他へ波及するとは考えにくいが、同人誌における二次創作物への各出版社の今後の対応が注目されている。

非親告罪化への動き
著作権侵害の非親告罪化への動きも、同人誌関係者には不安要素となりつつある。

現在、著作権侵害の刑事罰は親告罪であり、著作権者からの告訴がない限りは刑事責任は問われない[14]。このことが、著作権者によるパロディ同人誌の黙認に刑事司法上の一定の効果を与えている。しかし、非親告罪化された場合、黙認は通用しなくなり、常に事前かつ明示の許諾を求められる可能性がある。

『朝日新聞』2007年5月26日号「著作権が「脅威」になる日 被害者の告訴なしに起訴、共謀罪でも」(丹治吉順)によると、日本は「模倣品・海賊版拡散防止条約」の制定を提案している。しかし、アメリカ合衆国から「海賊版摘発を容易にするため、非親告罪化を盛り込んで欲しい」という要望[15][16]があり、条約提唱国としては、国内の著作権法も条約に合わせて改正するのが望ましいとされた。そこで、文化庁文化審議会著作権分科会法制問題小委員会で3月から審議が始まった。

また、同記事によると、文化庁の審議とは別に、国会で審議が進んでいる共謀罪法案には、自民党の修正案3案のうち2案で、著作権法を共謀罪の対象としている。自民党案をとりまとめた早川忠孝衆議院議員は、「犯罪組織が海賊版を資金源にすることを防ぐのが目的」と述べている。

ここで注意しなければならないのは、海賊版とパロディ・二次創作物の本質的な違いである。海賊版は創作性のない複製物[17]であり、なんら創意工夫をせずに利益を得る手段である。パロディ・二次創作物は、二次的ではあっても創作物である。これらは現行の著作権法では一括りにされているが、本来は一括りにされるようなものではない。

編集者の竹熊健太郎は、非親告罪化によって、警察・司法が独自の判断で逮捕することが可能になれば、「商業的な出版・放送・上演・演奏のみならず、コミケの二次創作・パロディ同人誌などにも深刻なダメージが加わる可能性がある」と指摘。「俺を含めて多くの作家・マンガ家・同人誌作家・ブロガーは何か書く場合でも無意識のパクリがないかどうかおっかなびっくり書くことになり、ひいては表現の萎縮につながりつまらん作品ばかりになるかもしれないので俺は反対だ」[18]と主張した。

また、クリエイターの小寺信良は、行使する側が模倣と創作の違いが分からない場合、クリエイターの活動を萎縮させかねないとコメントした[19]。

^ 明六雑誌(1873年)を日本最初の同人誌とする説もあるが、文学の分野においては『我楽多文庫』を最初と考えてよい。
^ 小山内伸「岐路に立つ「同人誌」――「文学界」での「評」打ち切りに」『朝日新聞』2008年11月11日付朝刊、第13版、第34面。
^ 「性描写の問題」と「著作権の問題」は本質的に別の問題ではあるものの、二次創作では常にこの問題が相関し、同列の問題として扱われることもしばしば起こる。
^ ITmedia News:2007年10月25日「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査。なお、調査は2007年9月13日から同月23日までの期間、個別面接によって行なわれ、有効回収率は約6割であった。
^ ゾーニングが有効であるとする前提の下に、コミックとらのあなやメロンブックスのような大手同人ショップの店舗で販売する場合、成人向けと一般向けを明確に区別することにより、少しでも児童(ここでは18歳未満の意。以下一部除き同様)の目から隔離されるよう、多少の配慮がなされている。なおこれは厳密に言えば、児童が手に取れないように区別しているではなく、単に売り場を分けているだけなので、ゾーニングではなく、実際は単なるパーティショニングである。海外の先進国の場合は、表現の規制こそ日本より緩いように思われるが、そもそも成人向けの作品は、成人しか入場できない店舗でしか販売できないように区別するのが普通である。また、児童への販売が発覚した場合は、販売者も処罰される。日本のように誰にでも入店できる店舗で、便宜上のゾーニングを行うだけで成人向けコンテンツを堂々と販売するという形式は、先進国の中では特殊な部類である。
^ ただし、同人ショップなどの商業流通に乗せられたものは「ファンクラブ活動」の範囲を逸脱しているとして摘発されるケースも多い。一方で、規制に積極的とされる企業であっても、コミケットなどの同人イベントでの摘発事例はなく、「子供の落書きにまで規制を入れる」ディズニーを別とすれば、摘発はこれらの商業流通のものに限られていた。しかし、ビデオやDVDなどの映像作品については摘発される可能性が高く(サークルと無関係の業者による無断複製の海賊版から連座的に摘発された事例もある。)、また大規模化(例えば、深夜アニメやアダルトゲームの場合、本編の売り上げを超える規模で二次創作物が頒布されることも多くなり、看過できる範囲を超えることがある。)したため、個別に警告が出されるケースもある。
^ 積極的に規制が行われているような著作物については、いわゆるオタク層に見放されることがあり、オタク層向けのコンテンツでこれを行うと、グッズ展開や続編コンテンツ自体が不調に終わることもある。
^ 黙認とは、黙って認めることであり、認める意思がなく単に黙っているに過ぎない場合は本来、含まれない。
^ 特に性表現を含めない限りにおいては、多くが黙認されている。
^ 許諾の意思がない場合との識別が困難ではあるものの、その意思に基づく限りにおいて、著作権者による黙認には事実上の許諾という側面もある。ただし、「ときめきメモリアル」(コナミ)のように黙認と思われていた状態から突然、法的手段の行使に至る場合や、「しまじろう」(ベネッセ)のように、一旦許諾したものを突然取り消してファンクラブ活動が休止に追い込まれるケースもある。
^ ただし、同人誌の経験がある、あるいは同人出身とされる作家の中には、商業誌の代わりの発表の場として同人誌を選んだだけで、二次創作とは全く関係のないオリジナル作品しか創作していない者や、単に同人誌の経験もあるというだけで、実際はアシスタントや持ち込みの経験から評価されてデビューの機会を与えられた者も多い(これらは、1980年代初頭までにデビューした作家に多い。)。また、現在に至る二次創作物が登場し始めた1980年代以降であっても、そもそも同人とは全く関係のない出自の作家も多数いる。
^ 近年では逆に、元々同人誌とは無関係だったプロ作家が、不人気、出版元とのトラブル、あるいは高齢や健康上の理由による引退などから発表の場を同人誌に移すケースも増えており、二次創作とは無関係なオリジナル作品(中にはプロ時代に未完で終了した連載の続編や、過去作の外伝などを発表するケースもあるが、これは場合によっては二次創作物とみなされることもある。)を発表することが多い。
^ 女性向けやコンピュータソフト制作(同人ソフト)を中心に、「プロ同人」と呼ばれる、同人活動のみで生計を立てる者もいる。これらは、商業誌などからプロデビューのオファーがあっても、スケジュールの自由度を奪われるなどの理由で辞退することが多い。原作の著作権者や税務署など、当局からはアマチュアとはみなされておらず、これらのサークルが二次創作を行った場合や過剰な性表現の作品を発表した際に摘発に至るケースが多い。
^ なお、損害賠償などの民事責任は、刑事責任とは独立して問われる。ただし、この場合も著作権者からの訴えの提起を必要とする。
^ 2006年12月5日付日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書(「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書 2006年12月5日」)には、「知的財産権保護の強化」のための要求の一つに「起訴する際に必要な権利保有者の同意要件を廃止し、警察や検察側が主導して著作権侵害事件を捜査・起訴することが可能となるよう、より広範な権限を警察や検察に付与する。」がある。
^ また、この他に著作権保護期間の50年から70年(個人著作物の場合。法人は95年)への延長要求などがある。
^ この場合、デッドコピーのことを指す。
^ たけくまメモ:2007年5月21日 【著作権】とんでもない法案が審議されている

2009年01月18日

鏑矢(かぶらや:希に蕪矢とも書く)

鏑矢(かぶらや:希に蕪矢とも書く)は矢の先端、鏃の根元に位置する形で鏑(後述)を取り付けられた矢の名称。鎌倉時代には既に記述が見られる(保元物語)が、初期の頃は名称も定まっておらず起源、いつ頃から使われていたのかは解っていない。

(かぶら)とは矢の先端に付ける武具の一種。大きさは全長で5cm前後から20cm前後まで大小様々で、円筒形、円錐形、或は紡錘形を基本とし、詳細な形状は一様ではない。矢への取り付けは基部から先端まで矢箆を貫通させ、先端から鏃を挿して固定する。中身が刳り貫かれており中空構造になっており、通常は割れが生じないよう数カ所糸で巻き締め固定し、仕上げに漆で塗り固めてある。材質は朴や桐など軽量で加工性の良い木材、かつては鹿角や竹根も用いられた。

蟇目
(ひきめ:引目とも書く)とは上記鏑に数カ所の穴を開けたもので、鏑と同様に矢箆を上下に貫通させ、釘上のもので固定する。正式な造りは4つ穴で、これを四目(しめ)と呼ぶ。これを矢の先端に取り付けた矢を放つと穴に空気が流入する事で笛のように音が鳴り、鋭い音を発する。蟇目の出す音が邪を払い場を清めるとされている。蟇目鏑とも言う。

神頭
(じんとう:矢頭とも書く)は厳密には鏑とは別物だが、外見が鏑と似ている為、しばしば鏑と混同されがちである。古くから存在し、鏑に良く似ているが、中身が刳り貫かれておらず、また大きさも鏑より小さい。紡錘形から円錐形まで形状・大きさとも一様ではなく、材質は軽量、硬質な木材など、古くは海藻の根を乾燥させたものが使用された。鏃の代わりに矢に取り付け、射中てるものを傷を付けないよう、若しくは射砕く目的で使用される。

用途

鏑矢
(かぶらや)とは鏑を矢の先端に取り付け、鏃を有するものを言う。鏑は小寸のものを用い、鏃には雁又、平根などを挿すのが一般的である。中世は鏑矢を一手(ひとて)を普通の矢と共に箙に盛り上差矢(うわざしや)とするのが作法であった。現在では流鏑馬など故実の祭礼式などで使用され、また飾り矢として邪を払う縁起の良いものとして親しまれている。

蟇目矢
(ひきめや)とは蟇目を取り付けた矢の事。鏃を付けず、蟇目の出す音で邪を払い場を清める事を目的とし、祭礼神事で使われる。古くは誕生蟇目・産屋の引目・射越の引目などと称し、胎児の健康、成長祈願や家屋の屋根を越えるように蟇目矢を放ち邪を払い魔を退散させるなどした。現在では小笠原流に『蟇目の儀』が伝わっており、下賀茂神社や住吉大社、一部弓道大会の開会などで行われている。最近では国際弓道連盟設立記念大会で執り行われた。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

蟇目鏑矢
(ひきめかぶらや)とは蟇目矢に雁又、平根などの鏃を挿した形のもの。中世は上差矢として通常の矢と共に箙に盛って携行し、合戦の始めや味方への合図を出す際にこれを放ち、音を出して遠くに伝えた。現在では邪を払う縁起の良いものとされ、飾り矢として親しまれている。

神頭矢
(じんとうや)とは神頭を矢の先端に取り付けたもの。厳密には鏑矢とは別物である。鏃は挿さない。古くから笠懸、流鏑馬、犬追物など稽古用に使用され、初期の頃は的矢としても用いられた。現在は武田流、小笠原流に伝わる流鏑馬など、故実の祭礼式などで使用されている。

関連項目
弓術

破魔矢
流鏑馬
笠懸
犬追物
騎射三物
小笠原流
武田流